光あれば影あり




「だから日本の教育はダメだ」

「日本の教育は画一化的で個性を殺す」





そんな言葉を聞くとね、寂しさとか軽い絶望感とか、何と言いますか、得も言われぬ感情が走るわけです。



もっと、直接的に私に流れている感情を表現しましょうか?



私の死んだおばあちゃんを否定されているような、


私の戦死したおじいちゃんを否定されているような、そんな悲しみの感情に苛まれてしまうのです。




何か辛く嫌な、怒りにも似た感情と言いますかね。








今こうやって立っていられること自体、まずは日本の教育、それはただ単に学校教育に止まらない、生まれ育った地域から、また、日本の慣習から授かったものが間違いなく今の自分というものを創ったわけであって。






この日本という素晴らしい国家を作り上げたのは、日本人が持つさまざまな精神性がそうさせたに間違いありません。




私は、



日本の教育の素晴らしさを今こそ再確認し、しかしながら、物事は光と影が必ずあるわけであって、




     



                光を見てから、影を見る







敗戦国として、刷り込まれてしまった





「日本を否定する」という感情感がそうさせてしまうのか?





私は、この素晴らしい日本という国を、まずは、日本人としての原型を今こそ再構築し、再確認する。




そして、そこにこれからのグローバル化社会で生き抜く精神性を新しく宿していく。





そんな教育こそが必要なんじゃないんでしょうか。




株式会社シルヴァンブリーズ 代表取締役 髙木悦夫

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