デヴィッドボウイ

最近デヴィッドボウイにはまっている。

僕が生まれた時にはもうすでにデヴィッドボウイは存在したわけで。



ここにいることを高らかに声を上げる。





それは実に恐ろしいことだ。


しかしだ、それをやってしまえる、神が選んだ人が時にいる。


そこに群衆達は身を委ね、そうだそうだと凱歌を上げる。


先駆の人たちが市場を洗脳したところを見計らい、あたかもそれを自分がやったかのごとくに闊歩する輩があらわれる。



そうはなりたくないが、そうなっている。



だからこそ、古典を聞くのだ。今を生きるために、目先のメッキにならぬために。



人間の感性の原理原則は太古の時代から変わりはしないのだ。


目先のメッキなど、今昔物語。


目先のメッキなど、砂のごとくに消えていく。


だからこそ、消えない今も残るものに、そこにこそ人間の遺伝子が求めている原理原則があるのだ。



そう決めつけ、今日の刹那を生きる、


私ね。



















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